生命の不思議な生態_第八話

投稿日:2023年11月1日

生命の不思議な生態(第八話)

 

繁殖出来ない植物(?)が人類を救ったイネ科の植物

 

2.生命力の強さの秘密

 

イネ科の植物が誕生したのは、深い訳がある。

地殻変動でゴンドワナ大陸が四分五烈し、水・酸素・気温が不足し、光合成が十分にできない過酷な環境で、寿命を1年とし世代交代を早く済ませるために「一年草」が繁栄した。早い世代交代は進化をより促進させ、繁殖に都合がよい。

そして、多くの植物は複雑な双子葉植物より、単純な構造の単子葉植物へと進化していった。双子葉植物は大きく成長するために、枝分かれ構造になっているが、大きく成長するよりスピードを求める単子葉植物は、葉脈は並行で根はヒゲ根になっている。その中で最も進化した単子葉植物は、イネ科の植物である。

白亜紀に入ると、陸地の25%が草原になり平地は草で埋め尽くされた。その草はバッタの食料となった。

イネ科の植物は、乾いた草原に生えていたので、乾燥地帯で生きる工夫がなされている。

  • 単子葉植物特有のヒゲ根を地中に伸ばし、水分を確保するための葉脈を細くして、水の蒸発を少なくした。
  • 葉の表面にワックス層を作り、より水の蒸発を少なくした。

 

最も危険なことは、バッタ以外に草食動物に食べられてしまうことである。食べつくされる前に次の子孫を残さなければならない。そこで、荒地の草原で生きるため、対抗手段として次の戦略を立てた。

 

①食べられないようにするためには、葉に毒を持たせればよいが、毒を作るためには時間とエネルギーが必要になる。荒地は毒の成分となる栄養分が少ないために毒を作ることが出来ない。

そこで、食べられて死んでしまう以上に子孫を残せばよい。スピード重視のためには毒を作る手間を省いた。

 

②生長点は上にあるほうが、植物同士の太陽の奪い合い競争に勝てる。だから、通常、植物の生長点は上にある。しかし、イネ科の植物は草原に生えているから、太陽の奪い合い競争がない。生長点が上にある必要はない。

草の先端が食べられても生長点さえ食べられなければ、成長に何ら支障はない。そこで生長点を地面スレスレの根元に持ってきた。

食べられることを前提にした繁殖方法だと言える。

 

③土中に栄養がないため、豊富にあるケイ素を利用し、葉っぱのエッジを刃物のように鋭利にし、食べにくそうにしただけでなく、見ただけで消化しにくいような葉にした。

一般の植物の棘(トゲ)はカルシウムだが、カルシウムは土中に豊富にはない。動物はカルシウムから骨を作ったが、イネ科の植物はケイ素から骨を作った。

ケイ素は一般の植物は利用できないが、イネ科の植物はみごとにこれを取り入れ、ガラス質の骨格(プラントオパ-ル)を手に入れて、食べられにくい体にした。

イネ科の植物が凄いのはこれだけではない。

 

④葉は硬くて食べられないどころか、ほとんど栄養がない。イネ科の植物はこの葉を使って光合成しているが、作った栄養は葉ではなく、茎に蓄積させて動物に葉を食べられても栄養にならないようにした。

一般的に種子は、タンパク質(アミノ酸)や脂質が多く、炭水化物はほとんど含まれていない。しかしイネ科の種子は、殆どが炭水化物だけなのである。

そうなった理由は、毒と同じように、タンパク質や脂質を作る時にエネルギーが必要だが、イネ科の植物は荒地に育ち、土中に栄養がないからだ。

この炭水化物が、後に人間に目を付けられることをイネ科の植物はこの時点で気づいていない。

 

⑤又、光合成するための環境が良い草原を選んで生えた。その理由は、光が遮断されて枯れる心配はないからだ。

 

このようにして、単子葉植物は過酷な環境に適応したが、逆に、草食動物にとってはやっかいな食べ物になった。

この変化で一部の草食動物は絶滅の危機に瀕した。しかし、これに対応していかなければ草食動物は生きてゆけない。

ケイ素を利用したため消化しにくいことと、葉は硬くて食べられず、ほとんど栄養がないことを草食動物はどのようにして克服したのか。

それは、

第一に、硬い草をすりつぶすために、歯を丈夫にした。

第二に、微生物を胃の中に棲まわせ、微生物に消化させて栄養を吸収した。

第三に、栄養がないために、大量に食べることによって栄養を吸収した。

そのため草食動物は大食漢になったことから大型化し、一日中草を食べていなければならなくなった。

牛やキリンは、微生物に頼るのは無論、胃の構造まで変化させ、4つの胃を持ち、反芻することによって消化・吸収をしている。

 

不思議なことに、栄養のない草を食べているのに、草食動物は概して筋肉質である。筋肉を作るのにはアミノ酸が必要であるが、単子葉の草にはアミノ酸らしきものはない。

そこで草食動物は、胃に微生物をすまわせた。微生物は草に含まれる窒素を利用して、アミノ酸からタンパク質を作り出している。草がアミノ酸に変わるのではなく、微生物が草を食べてアミノ酸を作り増やしている。

草食動物は胃の中で増えた微生物を消化吸収し、微生物のタンパク質を消化・吸収して筋肉質の体型となっているのである。残念ながら、人間にこの機能はない。

それでも、生物にとって、地球環境は決してやさしいものではなかった。

微生物から大型動物に至るまで、途方もない年月の進化を経て現在まで、環境に適応していったのである。

過酷な環境でもそれが安定して続けば、適応して何とか生きていく術を持つことが出来る。ところが、環境が変化すると適応出来ないものもいるが、そういう生物は絶滅する。

そして人間を含め、多様な環境の変化に耐え抜き、対応できたものだけが勝ち組として現在生きている。

今日、何を食べようか、明日何を着て行こうか。動物はこんなこと考えたことはない。病気になって闘病生活を送る余裕もない。

人間は、生きる以外の選択肢を持つ余裕さを獲得するために、自然と闘ってきた唯一の動物である。

生物には「どうやって生きようか」と悩む余裕はまったくなく、ただ、ひたすらに必死に生きている。自分のための生を生きているのではなく、次の子孫のためだけを思って生きている。

「子孫のために親の人生を犠牲にしたくない」。「子供はリスク以外の何物でもない」と考えたことにより、少子化が進行している国家の民は、もう人間が本来の生物であることを諦めたのかもしれない。

 

不思議なことに、豊かな国ほど少子化が進行している。

戦争直後の日本は、焼け野原の中で食料は少量の配給に頼って生きていた。その頃、昭和22~25年の最も厳しい環境の中で団塊の世代が生まれた。子供を産んで育てられる環境ではなかったはずだ。

この時代と現在で大きく異なるのは、前者は世の中全員が貧しかった時代であり、後者は貧富の差が拡大して相対的貧困家庭がクロ-ズアップしたことである。

世界には、僅かな食糧でかろうじて生きている人々がいる。殆どが戦争や紛争当事国であり、自然災害ではなく人災が生み出したものだ。明日どころか、今日食べるものがなく、飢餓に苦しんでいる絶対的貧困を抱える民は少子化にならず、むしろ出生率が高い。

人の幸せは相対的なものである。子供を産むことによって、相対的貧困がさらに拡大することを恐れることが少子化を招いている。幸福を感じる基準を相対的なものから、他人の目を気にしない絶対基準を持てば、幸せを掴むことが出来ると思う。現在の世界で、餓死して死ぬ人はほとんどいない。幸せは客観的なものではなく、主観的なものだからである。

 

生きる環境が劣悪になるのは、ひょっとすると飽くなき欲望を追及する経済発展なのかもしれない。

一部の人が富を独占し、大半の人が貧困だと感じる国民は先進国に多いのではないだろうか。一人当たりの生産性が高い国と言うのは、平均値が高いのであって、最頻値ではない。平均値が高くても、最頻値が低ければ決して豊かな国とは言えない。

豊かな国づくりを目指すとよく政治家は言う。

豊かな国とは、GDPを伸ばすことなのか。国民一人一人が幸せだと感じる国なのか、対象がぼやけている。

日本は、そういう点で生産性は低いと酷評されているが、日本より生産性の高い国と比較して、幸せと感じる最頻値は決した低くない。だから、「子を産むことはリスク」だなんて感じないでほしい。

 

 

中山恭三(なかやま きょうぞう)/不動産鑑定士。1946年生まれ。
1976年に㈱総合鑑定調査設立。 現在は㈱総合鑑定調査 相談役。
著書に、不動産にまつわる短編『不思議な話』(文芸社)を2018年2月に出版した。

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