【イギリス編⑤】
5.イギリス料理が不味い理由
食事を摂る考え方には、二つの考え方があります。
①皆さんは、「食べるために働く」のか、「働くために食べる」のかどちらです?
現代の日本には、「働くために食べる」人はいないでしょう。後者の考え方は、食の楽しみが欠如しているからです。
②「美味しいか不味いか」ではなく、「食えるか食えないか」だけになると、食文化は発展しません。
人間以外の生物は生命を維持するために食べるのであり、今日、何を食べようかとか、或いは家族団欒の食事をすると言う食事の観念はイギリスには発展しなかったようです。しかし、イギリス人の食事のあり方が生物の基本かもしれません。
ひどい言い方をされているイギリス料理ですが、よく言えば利点もあります。
①イギリス人でさえ自国の料理が不味いと認めているために、どんな未開な地へ行っても食べ物に困ることは少ないのです。何でも食べられることは大事ことです。だからイギリスに探検家が育ったといわれているのです。イギリスには有名な探検家を多く輩出しています。中でもジェ-ムズ・クック船長(通称キャプテン・クック)は有名です。英国軍艦「エンデバ-号」で、オーストラリア東海岸に到達して後、ハワイ諸島を発見、ニュージーランド・ニュ-カレドニア、トンガ、イ-スタ-島を発見し、大英帝国による領有化を宣言したことから、彼の功績はイギリスにとっては極めて偉大だったことが解ります。その他、「ヘンリ・ハドソン」は、ハドソン湾を発見し地名にその名を残しています。
もし、イギリス人の舌が肥えていたら或いは食べたことがない食材には手を付けたがらない保守的な民族であったなら、植民地支配に成功しなかったかもしれません。
イギリス人自体、料理の不味さは認めていますが、彼らはドイツほどではないと誇っています。確かに、ドイツも多くの探検家が出ています。
今年(2024年)のパリ・オリンピックで、選手たちから料理が不味いと評判が悪かったようです。特に、イギリス人から批判されたので、よほど不味かったのでしょう。国によっては食材とシェフを自国から呼び寄せていたそうです。
②料理が薄味なため、テーブルの上には必ず塩、胡椒や酢が置いてあり、自分の好みに合わせて味付けが出来るようになっています。不味いと感じる人は、コックのせいではなく自分でかけた調味料の加減が悪いのだそうです。
③野菜でも歯ごたえを好む日本人にとっては、料理全般に煮過ぎの感があります。しかし、高齢者や歯の悪い人にとっては好まれるでしょう。
④水不足のため衛生観念が低いとされますが、そのために長年培われた免疫力が強くなっていますので、探検や外国旅行で感染症になる確率が低いのだそうです。
⑤ピュ-リタンは清貧であることがモットーで、特に食事が貧しい事は宗教上の理由だとも言われています。
フランスやイタリアで、肥満の司祭や牧師に出会うことがありますが、イギリス人は、神に使えるものが肥満なのは許せないようです。現代は清貧位の方が健康に良いかもしれません。
イギリスの料理が不味いのは、それなりの理由があるようです。
①霧のロンドンと言われるように、イギリスは天気が悪く寒い。
土は肥沃でなく、農作物の種類が少ないのです。
②二つ目は、産業革命以降、都市部の工業化が一挙に進み、農村から大量の人が都市に集中し、農村から都市への食材を運ぶとき、鮮度が失われたことで殺菌のために何でも煮詰めすぎる料理となったようなのです。
③三つ目は、産業革命がピークに達すると、18時間労働が当たり前となり、食事にかける時間がとれません。作る方も食べる方も料理に時間をかけないので、おいしいはずがないのです。
④四つ目は、貴族・ジェントリーさえ清貧の国を誇りとしている関係上、料理に暇と金をかけることはフランス人のようで、騎士道の精神に反すると考えていたようです。我々の尊厳は食事で満たすことではなく、精神で満たすのだと。こういう考え方が、不味くても食べられれば良い程度の料理になったのでしょう。歴史的に、イギリス人はフランス人を見下していました。だから彼らとは正反対のことが美徳とされたと言う説があります。
⑤五つ目は、現在外国人労働者がイギリスを訪れても、不味い料理を食べて我慢する事はないといわれています。
イギリス本土には日本と変わらないぐらい、中華料理、フランス料理、日本料理、エスニック料理、インド料理と多種多様な料理店がいっぱいあります。ただし不思議なことにイギリスにあるこれら外国料理は、とてつもなく不味いとの評判です。国民の舌に合わせるように、味が変化していったのでしょうか。
⑥六つ目は、騎士道精神が現在でもイギリスに根付いている点です。
私が子供の頃、食事中におしゃべりすると親父によく怒られました。
“ 黙って食え! ”
味付けがまずいと言うと、
“ 男のくせに文句を言うな! ”
我が家の食卓は、静寂そのものでした。
武士道のたしなみは、農民にも手本となった時代の名残かもしれません。今でもイギリスの食卓は、お腹をいっぱいにするもので、会話を楽しむとか味を楽しむと言う文化は育たなかったようです。
働くために食べる文化では、食事中の会話や味を楽しむ文化は罪悪であり、神に対する冒涜と考えていたかもしれません。
日本の武士も、料理の味が美味しいだとか不味いだとか、基本的に下世話なことは思っても言わなかったようです。武士道に反するからです。
ただし、貴族・大名・門跡寺院の僧・一部の商人だけは、禅宗の自然感を全身で感じるために、茶道と共に料理が発達したのではないかと思います。
・・・・懐石料理、会席料理等
イギリスやドイツも騎士道が発達し、質実剛健の精神は日本人と通じるものがあります。
しかし明治維新以降、料理だけはフランスの文化と交流し、日本料理のフランス化、フランス料理の日本化によって、日本はイギリス・ドイツと正反対の方向に進んだように思います。
日本文化を褒めているのではありません。味覚が発達すると経済が活性化する反面、男性が女々しくなった(草食男子)結果、出生率が下がってしまっているのではないでしょうか。
経済が発展すると出生率が下がる傾向にあります。出生率の低下は先進国病なのです。飽食は、ひょっとすると「テストステロン」の減少と因果関係があるのではと思ったりします。
飢餓に苦しんでいる国ほど出生率が高いのは、人類の長い歴史の中で、労働力不足を補うための「脳のホルモン調整機能」が関係しているのではないでしょうか。
団塊の世代は、戦後の食糧難の時代に生まれた人達です。お隣の韓国・中国は日本よりやや遅れましたが、急速な経済発展のおかげで貧困から脱したために、現在出生率の低下に見舞われています。
飽食は出生率の敵なのです。出生率を上げるには食糧難にすればよいのですが、そんな公約を掲げて政治家に立候補すれば、国賊者として非難されるでしょう。
出生率を上げるためには、国民が飢餓を経験すればよいと科学的に証明されたとしても、そんな政策をすれば政権は持たないでしょうが。
1707年、イングランドとスコットランドの合同法が成立して、グレートブリテン王国として一体化しました。
この7年前、日本は徳川綱吉の時代で「生類哀れみの令」が出された年です。犬・猫はおろか馬の死にも幕府の監視にさらされ、猪・鹿・鳥だけでなく卵の食用も禁止になったそうです。さらに魚まで食用を禁止したと言うから驚きです。要は、日本中「ベジタリアン」になれと言うことなのです。
不思議なことに、犬が空腹にまかせて幼児を食い殺す事件には目をつむったのです。特に犬に対しては、面積16万坪の「お犬様の飼育場」を建設しています。当時、江戸の人口は35万人、犬の数は10万匹いたと云います。
こんな無茶な政策を提案したのが、真言宗の僧侶だったのです。
綱吉にお世継ぎが生まれなかったことから、徳川家は殺生を禁じました。その報いから、せめて「戌年の将軍は犬を大切になされ」と進言したからです。
綱吉が亡くなると、鳥・猪・魚はいうに及ばず、うなぎも食えや歌えやの大騒ぎとなり、この頃から、初鰹・筍等、初物や旬のものを食う習慣が定着しました。
“ 初物食いの銭失い ”
“ 女房を質に入れても初鰹 ”
落語に出てくるような初物食い競争が幕を開けました。
世界中で初物や旬の食べ物を競って食うのは日本人だけのようです。
魚や野菜が生に近い状態で食べられることが要因なのでしょう。
スパイスだらけのインド、油炒めの中国、ソースで食材の味を変えてしまうフランス。季節感がないのが世界標準なのです。
日本は世界にも稀な食材に恵まれた国です。
京都で料亭に行った時、味のすばらしさに思わず板長に聞きました。
“ 素晴らしい腕ですね! どこで修行されたのですか? ”
彼曰く、”料理は素材が90%、腕はたいしたことありません!”
この謙虚さも世界標準ではないでしょう。
今年(令和6年6月)、天皇・皇后両陛下がイギリスを親善訪問されました。
6月27日、思い出の地「オックスフォ-ド大学訪問」が何よりの楽しみだったと思います。チャ-ルズ国王、ウィリアム皇太子だけでなく、多くの人々から「ウェルカムバック」と声を掛けられたのが、何よりも嬉しかったと陛下は仰っていました。
エリザベス女王陛下、フィリップ殿下が眠るウィンザ-城を訪れ、お礼の気持ちを込めて参拝されました。
バッキンガム宮殿での晩さん会では、どんな会話をされたのでしょう。
ジャガイモの話はされなかったと思います。
イギリスで、ジャガイモはいつ頃食べられるようになったのでしょう。
ジャガイモは、エリザベスの時代にイギリスに持ち込まれていました。
しかし、この芋は見た目が悪く、勇気を持って食べた人は、葉や根まで食べてソラニン中毒にあたってしまいました。イギリスのエリザベス女王も、ジャガイモの葉をサラダにして食べたことが原因で中毒症状をおこしたようです。
これ以降、危険な食べ物になったという話が伝わっています。誰も食べたことのないジャガイモ料理を、配下の者が試食もせずに女王陛下に食べさせたのだろうか疑問に思います。
日本では考えられません。
イギリスはエリザベス女王がソラニン中毒になったため、危険な食べ物として普及が遅れてしまいました。その後、チャ-ルズ一世の代に王立協会が救荒作物として奨励しましたが、フランスやドイツと異なり普及しませんでした。
イギリスがジャガイモを食べないのは、一つには人種的偏見があるのです。
当時、イギリスでも野菜は貧者の食べ物で、ヘンリ8世、メアリー、エリザベス、ジェームズ等も野菜は食べていなかったようで、このため、ビタミンC不足からくる壊血病の徴候があったと云われています。
あの「キャプテン・クック」船長は、「レモンを食べると船乗りが壊血病に罹って亡くなるのが予防できる」と知って強制的に食べさせたようで、お陰で世界周航しても誰も壊血病に罹っていません。
その後、英国海軍はインドでカレ-を研究し、カレ-にジャガイモを入れたことでビタミンC不足を補い、船員の命を救ったのです。無論、この頃の時代にはビタミンの存在は発見されていません。
ジャガイモは、産業革命を支える労働者の胃袋を満たす近代化の原動力となりました。民の寿命は延び、出生率も上がりました。このため、労働確保が容易となり農業労働人口は少なくて済み、第二次・第三次産業が発達出来たのです。
ところが、1845年にアイルランドでジャガイモの「胴枯れ病」(ブライト・・・カビによる病気)が発生し、欧州各地でジャガイモが壊滅状態になり、大きな被害を出しました。
ジャガイモと云えば、ヨーロッパでは飢饉を救ってくれた大切な食べ物と言う印象がありますが、イギリスではアヘン戦争と並んで、世界の信用を失った暗い過去を持つ、思い出したくもない食べ物なのです。
アイルランドでは、現在でも心の底から消すことが出来ない、イングランドに対する「恨みの食べ物」なのです。
無論ジャガイモ自体に責任はありません。
アイルランドとイギリスの仲が悪いのは、ジャガイモ飢饉が発端とも云えるのです。
ジャガイモの立ち枯れ病は、その後5年間も続き、餓死者が100万人を超えました。さらにイギリス、アメリカなどに逃れた人の数が100万人~150万人に到り、ついには武装革命組織が蜂起し、現在のアイルランド共和軍が誕生します。
そんな中、英政府はアイルランドの惨状を放置したために、アイルランド人の怒りが爆発したのです。
アイルランドとは、どんな国なのでしょう。
中山恭三(なかやま きょうぞう)/不動産鑑定士。1946年生まれ。
1976年に㈱総合鑑定調査設立。 現在は㈱総合鑑定調査 相談役。
著書に、不動産にまつわる短編『不思議な話』(文芸社)を2018年2月に出版した。