嘱託殺人
7月23日、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を患う51歳の女性の依頼を受けたとして、京都府警が嘱託殺人の疑いで42歳と43歳の男性を逮捕した。
新聞記事は、「安楽死は違法行為であり、容認できない」とのコメントであった。
逮捕された2人の男性は共に医師ではあるが被害者の主治医ではなく、しかも130万円の報酬を貰って自殺の幇助をしたもので、医療倫理に背く行為だと非難した。
1人の男性医師は、手塚治虫の代表作「ブラック・ジャック」に登場するドクタ-キリコ(元軍医で、苦痛に苛まれる患者にカネで安楽死を施し、死に神と呼ばれた異端の医師)に憧れていたらしい。・・・・・自身のツィーターの書き込みによる。
SNSを通じて安楽死を願っていたにも拘わらず、主治医は適切な処置を取らなかったとの非難があるが、主治医とて大変な心の葛藤があり、苦悩していたと推察される。恐らく主治医にも「安楽死させてください!」と言っていたに違いない。
医者にとっては「殺人罪」が常に頭にある。
この患者は、6歳で神経系の難病を発症し、20年以上にわたって闘病生活を送ってきており、話すことは無論、手足の指さえ動かない生活を強いられてきたのである。ALSは現在、治療方法がない。
視線入力のPCを使って、「死なせてください!」と悲痛な思いでツィートしていた彼女に答えて、薬物投与して死に至らしめた2人の被告をどのような言葉で責めたらよいか、言葉は見つからない。
今回の事件で、真っ先に頭に浮かんだのは、西部暹(にしべすすむ)先生の死である。
東京大学教養学部教授から評論家になり、多くの政治家・学者・著名人に尊敬されていた人である。
平成30年1月21日に、多摩川で入水自殺した際、先生を長年にわたって慕っていた2人の弟子が請われて自殺を手伝ったことで逮捕されたのである。
懲役2年、執行猶予3年の有罪判決であった。
刑法202条で、嘱託殺人は6ケ月以上7年以下の懲役又は禁固に処すとされているが、2人の弟子達は「自殺を手伝ってほしい」と再三にわたって懇願されただけでなく、先生の苦闘を目の当たりにした上で決断したものである。
先生を知る人は、「私も頼まれれば手伝ったかもしれない」と周囲に漏らしてという。
裁判所はこういう場合、どうしたらよかったのか適切なアドバイスがない。
「今の話は聞かなかったことにする!」とほっとけばよかったと考えているのか。
刑法202条は、法律上の観点からも疑問符が付いていた。
法律の構成としては、正犯が罰せられるからその協力者(従犯)は正犯に準じて罰せられるが、自殺そのものが正犯でない以上、従犯は成立しないはずである。
簡単に言えば、法律違反でない行為を本人から頼まれて行うと罪になるのであれば、自殺者も違法としなければ理屈に合わない。
ところが、自殺者を違法とすると、自殺した人に懲役・死刑を課すことになり、現実的でない。
自殺を幇助した人達の中には、本人のことを誰よりも愛し、尊敬し、苦しみを分かち合うからこそ出来たと考えられないだろうか。
西田先生の自殺を幇助した2人の弟子達に対し、三島由紀夫が割腹した際に介錯した森田必勝のように「幇助者も自殺すれば罪にはならなかった」と裁判所は考えたのだろうか。
安楽死には、二通りあるとされている。
- 消極的安楽死(尊厳死)・・・合法
患者本人の意思が不可能な場合に、家族の自発的意思により延命を継続せず治療を中断する。
- 積極的安楽死・・・・・・・・違法
患者本人の自発的意思により、死に至らしめる。
事はそう簡単ではない。
治癒することだけを考えて治療に専念していた初期段階では、安楽死を意識すらしないが、治療出来ない末期には消極的安楽死を決断する体力と意思能力を温存して置かなければならない。
患者本人が「死にたい」と言った場合でも、苦しみから逃れたいのか、家族にこれ以上迷惑を掛けたくないと思ったからなのか、家族でもわからない。
治療をどこで止めるかの判断は医者にはない。残された未経験な家族に選択権がゆだねられる。放棄したくなるような権利が家族に与えられる。
医者に助言を求めても積極的な回答は期待できない。
病院は患者の命を救うところであり、命を奪うところではないから、どんなに患者がもがき、苦しんでいるからと言って、家族のうち一人でも反対すれば医者は逆らえない。
積極的安楽死に至っては更に厄介だ。
死を目前にして苦しみもがく患者の意思を法律は全く受け付けない。
これに異を唱えたのがデス・ドクタ-【ジャツク・ケヴォ-キアン】(1928.5.20~2011.6.3)である。
彼は、オスマン帝国による大量虐殺から逃れたアルメニア人で、米・ミシガン州の医師である。総計130人を自殺幇助装置(タナトロン)で尊厳死させた。
このタナトロンは、生理食塩水を注射したのちに麻酔をし、その後患者がスイチッチを押すと装置が動き、死に至る仕掛けである。
裁判所は、患者が痛みを訴えなかったことを証明して、彼を殺人犯として投獄した。
これに対し、彼は患者が死を決するのは単に痛みから逃れるためだけでなく、生へのトメドモナイ不安に襲われた時でも死を選択すると主張した。
結局彼は、医師免許を剥奪された。そこで、彼は当時のミシガン州では安楽死を犯罪としていなかったのに有罪としたのは「リンチ」だとして抗議した。しかし、裁判所は自殺幇助でなく殺人だとして懲役25年を言い渡したのである。
模範囚であったため、8年で刑期を終え、その後医師免許を剥奪された。
彼の問題としたことは、米では保険制度がないために、貧しい多くの患者が苦しみぬいて死を待つ現状があったことと、治療方法を患者に決めさせることで医師の責任を回避させている現状に問題がありはしないかという点である。
積極的安楽死は現在、スイス、オランダ、ベルギ-、ルクセンブルグ、米の6州が認めている。
キリスト教の教義には反しているため、欧米の一部で認められているのは奇異な感じがする。日本人の精神構造からは、姨捨山・特攻隊・切腹等の歴史的な自死を認めてきた。姨捨山は家族を救うためであり、特攻隊は国を救うため、そして切腹は武士の美学である。一方で、死は穢れであり、死に関連する職業は忌み嫌われてきた。戦後、欧米の思想が輸入されて、自死は創造主の意思に反することとして禁じられてきた。無論、仏教界からも釈迦が生を全うしたとして歓迎されたわけではない。
最近の医学は、ようやく延命治療を患者が選択出来るようになった。消極的安楽死を認めたのである。
人間を神の被造物と考えない我が国が、安楽死の最先端を走って当然なのに何故出来ないのか。早急に法制化が検討されるべきであるという意見は多い。
積極的安楽死の議論は、死そのものが忌み嫌われているため、議論さえされない。
患者の立場からではなく、責任回避の立場から誰も関与したくないと思われても仕方がない。
死と距離を置いた人の馬鹿げた倫理のハ-ドルを持ち込んでは、患者を救済出来るものではない。難病、末期がん、認知症等の苦しみは、人が自然に逆らって無理な治療を施した結果である。治らないと判っていながら無理やり手術を薦め、その後、放射線、抗がん剤により地獄を彷徨よいながら入院生活を経験した患者に、安らかな死を迎えることができるだろうか。
哲学者、特に実存主義者は「人生に意味がある」と考えてきた。
しかし結局、それは何の根拠もなかった。人は意思をもって生まれたのではないからだ。だから、
- 自分の意思で死んではならないと考えるか
- せめて自分の意思で死にたいと考えるのか
残念ながらわが国ではその選択肢はない。
他人に迷惑を掛けながら生きていくのは自分の人生の美学に反するという人もいるだろう。それを否定して、本人の意思とは関係なく延命させれば、その人の過去の人生を否定してしまうことになる。
西部暹先生は、何より男の美学に拘ったのだろう。
私の祖父は、肺がんで亡くなる前、一週間もがき苦しんだ。見舞いに行った際、痛みと呼吸困難で顔の形相まで変わり果てていた。モルヒネが効かなくなった患者に点滴を施して延命治療を行っていたのである。
祖父の手足をさすりながら、「もう少しの辛抱だから、頑張ろうね!」と耳元で言った時、か細い声で、
「私は罪深い人間だから、神は苦しみを与えて下さっている。神に感謝します」と言って手を組んだ。
教会の信徒から慕われ、敬われて「赤髭先生」と呼ばれた祖父は、信仰に支えられて町医者としての一生を終えた。享年93歳であった。
才能なしと自分に見切りをつけて絵描きを断念し医者になったが、80歳位までいつも煙草をくわえながらキャンパスに向かい、貧しい雪国の農村風景を描き続けた。
寡黙な人だったが、その生き様は徹頭徹尾『自由と寛容』の人生であった。
神に感謝しながら死を許容できた人は、納得できる人生を送った証ではないだろうか。