年寄りの愚痴(1)
年を取ったせいか、最近愚痴が多くなった。このコラムは、そんな年寄りのくだらない話だと思って気楽に読み流していただきたい。世間話程度の話だが、時として“成程”!と思われることもあるに違いない。一瞬でもいいから共感して貰えることが出来たら、大成功である。
人類は、他の動物と異なり体力的に劣っており、常に敵からの攻撃を恐れ、天災におののき、今日より明日の方がましだという人生ではなかった。今日生き延びたことに、ただひたすら感謝する人生であった。だから、人類は数百万年の間ペシィミスト(悲観主義者)だった。しかし、敵からの防御と獲物を捕るために集団の力が必要であったこと、明日のために食物を蓄える必要を感じたことから農業が発達し、それに伴い飛躍的に脳が発達した。脳が発達して文化・文明が高度化したために、本来人類に備わっていた予見・予知能力が低下していった。水のありかや方向感覚、獲物のありか等、視覚・嗅覚・触覚等は縄文時代の人類とは比較にならないほど劣っていった。
ペシィミストからオプティミスト(楽観主義者)に変わったのは恐らく産業革命以降だろう。人類の敵は恐竜のような大型動物ではなく人類と職を奪う機械だけになった。それを一挙に解決する手段として植民地政策に走った結果、悲惨な戦争が激化したが、皮肉にも戦争の副作用として文化・文明が高度化した。
将来不安は神に託され、ひたすら高度成長の波を突き進んで今日を迎えた。それが今、負の遺産となって将来世代に大きな債務を背負わせることになってしまったのである。水力ダム、原子力発電所、高速道路、新幹線の軌道敷、トンネル、超高層ビル等の設計者は、建設時点で耐用年数経過後のことを考えただろうか。身近なところでは、40年・50年経過した空き家だらけの分譲マンションは、積立金はおろか管理費も徴収できない老人世帯だけしか住んでいない危険な物体で、歩道は、時折、劣化したコンクリ-トの塊が落ちている。建設当時かような老朽化マンションの危険性を予見していたとは思えない。
子猫や子犬を飼う動機が、可愛さだけで飼ったのであって、ペットの将来まで見据えてまで飼ったという人は殆どいないだろう。嫌なことは先送りする方が楽な人生である。戦後にはやった“ケセラ・セラ、なる様になるわ”は、今まで確かになる様になってきた。だから、今後も“なる様になる”かもしれない。
事の起こりは、先月、友人から相続の相談を受けたが、答えに窮して“なる様になるさ”と言ってしまった。日頃、「先送りは子孫のためにならない」との信念があったのに。友人によれば、父親が大動脈溜で昨年亡くなったが、故人は山林分譲地とか無道路地、私道、建築不能な旗竿敷地とか、兎に角おかしな物件が好きで、少しお金が溜まるとこういう不動産を買い漁っていたらしい。こういう土地は、将来化けるかもしれない夢の物件だと口癖のように言っていた。サラリ-マンだったので買い易かったというのが本音だろう。
相談事というのは、税務署から相続税の申告の前に来たお尋ねの用紙に、故人の資産を記載する欄があり、預貯金通帳・保険証書・年金手帳は何とか出てきたので記載したが、不動産は登記簿・契約書・権利書(売り渡し証書)が一切見つからない。不動産を除けば、相続財産は基礎控除の範囲で何とか収まる金額だが、不動産が200万円以上だと申告する必要があるというのだ。
「固定資産の納税通知書が来ているだろ?」と言うと、
「そんな書類見たことない」と言う。
「ひょっとすると、評価額が30万円以下の物件ばかりだったかもしれない。お父さんは何処の物件を買ったか覚えている?」
「さあ、愛知県以外は総て山林分譲地で、岐阜県、関東の何処か、それに北海道は2件ぐらい。その程度の記憶はあるが、僕は不動産のことは全く興味がなく、聞き流していたからさっぱり分からない」
「銀行の貸金庫の中は?」
「父は、けちで、貸金庫は金が要るので借りてなかったと思う。兎に角、父の所有不動産を探し当てないと無申告になってしまう。どうしたらいい?」
「どこの市町村に所有しているか分かれば簡単だけど、今の話だけではどうにもならない。それに、課税免除の土地だから大した金額にはならないから、ほっといたら?」
友人は不満そうだったが、納得して帰った。
後日、友人の悩みを解決する方法が見つかった。東京都大田区にあるネットワ-ク会社が、姓名や会社名から登記簿情報が検索出来、名寄せが可能だと聞いた。急いでその会社の概要とフリ-ダイヤルを友人に連絡した。
ところがここで問題が発生した。
彼が心配しているのは、仮に名寄せが出来たとして、相続登記にどれ位の時間と費用が掛かるのか、総て売りたいのだが、仲介業者と司法書士を紹介してくれとのことであった。
私は正直に彼に言った。
「山林分譲地は、ゼロ円でも買い手がない状況だから、引き受ける仲介業者はいないと思う。相続登記は義務がないし、それに固定資産税が非課税だからから、何もやらないでほっとくのが一番だと思うよ」
「後から、相続税が無申告だと言って追徴課税されないだろうか」
「固定資産税が非課税なくらい小額物件だから、国税はお金をかけて名寄せしてまで課税することはない。ほっといても“なる様になるさ”」
この時思ったことは、かような市場価値のない土地が全国に無数存在している。需要がないから相続登記もされない。将来、何らかの公共事業にこの土地の必要性が出てきたとしたら、僅かな土地代にとてつもない時間と膨大な人件費が必要になる。僅か1万円の土地に、100人を超す相続人がいて、しかもそのうちの誰かが海外移住していたらと思うと、先送りは決して楽な方法ではないことが誰でもわかることだ。現在の法制度では、寄付を申し出ても、自治体は引き取りを拒否する。
金持ちはこういう土地は購入しない。バブル時代は、登記簿に自分の名前が記載されていること自体がステイタスであった。友人の父親は小さな夢を実現できて満足してあの世に旅立った。
しかし更に深刻な問題は、固定資産税が非課税でなく、流動性のない土地である。収入が無いにも拘わらず、経費扱いもされない永久債務の遺産である。納税通知書が配達されるたびに、少しばかりの預貯金に目がくらんで相続放棄をしなかった自分を責め、自分を責めてばかりだと「うつ病」になるからと思って父親を怨むことにしたが、債務は消えないし気も晴れない。認知症の母親の顔は、すべての煩悩から解放されている。債務が消えないうちは煩悩から解放されないことを、お釈迦様はご存じだろうか。生活費を切り詰めながらの世話をしている子供にとっては、「なんで、なんで!」と叫びたくなる。こんな国民が大勢いるが、総務省や地方自治体にこの声は届いているだろうか。
中山恭三
中山恭三(なかやま きょうぞう)/不動産鑑定士。1946年生まれ。1976年に㈱総合鑑定調査設立。 現在は㈱総合鑑定調査 相談役。著書に、不動産にまつわる短編『不思議な話』(文芸社)が本年2月に出版した。